『もうこの人と関わるのは止めよう。幸せになれない。』
ツイン彼からの最後の電話でそう思い、その場でツイン彼の連絡先も想い出もすべて消去しました。
不思議ですが、これまで何度もそう思って気持ちを捨てても、必ず想い出してしまっていたツイン彼でしたが、この最後の電話を境に本当に私の記憶からは消えていきました。
正確に言えば、存在そのものを忘れることはできませんでした。
でも、切ない気持ちや期待する気持ちなど、これまで引きずってきた感情がその日を境にスパッと終わったのです。
『結婚をする相手とは生涯添い遂げるもの』
そう思ってツイン彼ではない人と結婚を決意しました。
ありきたりですが、出産し、育児をして夫と共に幸せな生活をリアルに夢描いていました。
専業主婦の母に育てられたので、自分が育った家庭と自分の将来をリンクさせていたのです。
私の親も、夫の親も過干渉だったため、親からの干渉を避けるために実家から離れた東京での暮らしを選びました。
でも現実は違いました。
離れて暮らしていても、義父・義母・義姉妹との関係にはかなり悩まされました。
私の母もまた、自分の理想を押し付けてきていました。
母と同じ人生を辿らない私たちを全否定してきたのです。
こんな風に私たちの結婚生活は、身内との“しがらみ” で苦しい生活でした。
そこから始まり、子供の病気、人間関係からの大きな金銭トラブル。
夫への愛情が覚めていったのも、こういう事の積み重ねだったように感じます。
もちろん、それでも私は夫と生涯を共に過ごす事を考えていましたし、数々の壮大な試練(墓場まで持っていく試練があった)が起こっても、どうにかこの家族で笑顔でいられるように・・・と、それだけを思って生活してきました。
私はガマンしてしまう性格なので、どんなに辛くても、苦しくても、泣き言を言わずに対応してきました。
ツラすぎる事は水に流せばいい
そういうガマンを重ねることが結婚だと、母から言われていた言葉が私の“無意識”となっていたため、何が起こってもスルーするような結婚生活を送っていたのです。
でも身体は悲鳴をあげていたのでしょう。
肌も髪はボロボロ、睡眠障害、血液ですらまともな状態ではありませんでした。
ツライ・・・・。
何度もそう思う事があり、突然涙を流したり、家出も何度かしましたが、「離婚」の決断を本当にする気にはなれませんでした。
それが人生だと思ったからです。
子供を必死に育てた事に後悔はありません。
しあわせだったと感じています。
でもそこに、夫への愛情があるか・・・・と聞かれると答えられません。
傍から見たら『しあわせな家庭』に見えたと思います。
育った環境とは全く違うおしゃれな都会に住み、おしゃれな生活をして、子供への教育にもお金をかける生活。
古くからの友達からしたら『どうしてあの夫婦でその生活が出来るの?』と疑問を持たれるくらい、見合わない生活をしていました。
それがしあわせな結婚生活の象徴だと、どこかで思っていたのだと思います。
いつの間にか、何かが狂い始めていたように感じます。
自分を騙しながら、すべての試練を乗り越えてきたように振る舞ってきた日々でしたが違ったのかもしれません。
だからある日突然、その“フタが開いてしまった” のかもしれません・・・
あの日に・・・。